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ブレザー

ブレザー(BLAZER)

信濃屋においてのマストアイテム

 メンズウエアの中で、ブレザーほどその地位を確立しているアイテムは無い。
 英国で生まれ、時を経てアメリカに渡り、アメリカントラッドの象徴ともいえるブレザーは、一着でパーティーなどのフォーマルからカジュアルまで、幅広いシーンでの装いにも合わせられるマストアイテムです。

 弊社のシーズン毎のコレクションでも、生地やディテールを変え提案し続けています。皆様のワードローブに必ず加えて頂きたい定番の一着です。

ブレザーの起源

 英国発祥のブレザーですが、シングルとダブルでは違う説が有る様です。

 シングルは19世紀の末頃、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学のボートレースが行われた際、ケンブリッジ代表 セントジョーンズ校レディマーガレットクラブの選手達が、真紅のジャケットに白のスラックスで現れた。その光景はまるで水に映える炎(ブレイズ)そのもので、観客達から「ブレザー」と大歓声が起こり、その後ブレザーと呼ぶようになった。

 第54回アカデミー作品賞を受賞した『CHARIOTS of FIRE』(邦名 炎のランナー)は、1920年代の英国を時代背景に作られた映画で、衣装の担当がミレーナ・カノネロ女史でした。その中で1924年にパリで開催されたオリンピック英国選手団のユニフォームは、ブルーのブレザーにホワイトのパンツ、そして帽子はセニッツストロー(カンカン帽)。彼女のしっかりとした時代考証で、当時のエレガントな雰囲気をスクリーンいっぱいに感じる事が出来ます。また、舞台となった大学がケンブリッジということもあり、シングルブレザー発祥の説を裏付ける映画作品と云えます。

 ダブルは英国海軍のリーファー(縮帆係り、その役目を受け持つ海軍少尉候補生)が着用していたジャケットを基に、軍艦ブレザー号の艦長の考案で誕生。1830年代、軍艦ブレザー号をヴィクトリア女王が訪問する事になった。そこで部下の見栄えを良くしようとした艦長が、急場しのぎにリーファーの着ている ネイビーブルーのサージのジャケットに、英国海軍を示す真鍮の釦を着けて着用させた。この即興のアイディアで生まれた服を女王はいたく気に入られ、 以後、他の軍艦でもユニフォームとして採用される事になり定着しました。

 20世紀になると、ブレザーはユニフォーム中心から一般のタウンウエアとして着用されはじめ、第一次世界大戦後の1920年頃には「ブレザーとフランネルトラウザース」が典型的な英国インフォーマルスタイルとしてアメリカに渡りました。

 その中でもブルックスブラザースのブレザーは、ナチュラルな肩のラインと絞りの少ないボディーラインが特徴で、100年近く経った今も同じスタイルで提案し続けています。この時期に現在のブレザーの原型が出来上がり今日に至っています。

日本でのブレザー

 19世紀の終わり頃から様々なスポーツが欧米から入って来るようになり、それに伴いブレザーも日本に上陸したのではないかと思われます。しかし本格的に定着したのはアイビーブームの1960年代。アメリカから上陸し日本で作製しだした当初は、ネイビーではなくブラックが多かった様です。

 また、東京オリンピックの開会式に於いて日本選手団が着用した真っ赤なブレザーに真っ白のボトムスが印象に残ります。ブラックやレッド等の色も素敵ですが、やはりネイビーにメタルボタンをあしらったスタイルが、ブレザーの定番と言えるのではないでしょうか。

  信濃屋ではブレザーを初めて紹介したのは1960年代。それ以前のスーツやジャケットは、オーダーで仕立てる事が中心で、既製品が少しずつ店頭に並ぶようになった頃でした。最初に取り扱った日本製のマクレガーは、二つボタンのネイビーフランネル。その後、ライニングに赤いパイピングを施したJプレスは三つボタンの段返りモデルで展開。1970年代後半には直接工場に足を運び、オリジナルで本格的に作製する様になりました。

参考文献
・立風書房 馬場啓一氏著『アイビーグラフィティ』
・アシェット婦人画報社『NEW MEN’S CLUB BOOK No.3 ブレザー』
・万来舎 大西基之氏著『メンズ・ウエア素材の基礎知識[毛織物編]』

 

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