醤油は「したじ」
祖父は明治30年の生まれで、きれいな江戸弁を話す粋で鯔背な男でした。
自分が学生時代にお世話になった、東映の脚本家の岡田先生が「君のうちに電話したんだけど、君は留守で、電話に出られたおじいさんがあまりきれいな江戸弁を話すので、うれしくて3時間もしゃべっちゃったよ」と言われたこともがありました。
日本電氣(現NEC)のサラリーマンでしたが、恵比寿の山下町(現広尾一丁目の川向う)の自宅で下宿屋と、手打ちうどん屋をやっていて、洋服や靴は誂えしか身に付けなかったようです。
父親を早くに亡くした弟と自分にとって、このじいちゃんが父親代わりにいろいろな大人のことを教えてくれました。うるさかったのは言葉遣い、魚の食べ方、コートの着方・脱ぎ方、雨の日の歩き方、くつの履き方、帽子のかぶり方、などなどです。
たとえば、醤油は我が家では「したじ」と言っていて、「しょうゆ」というとおこられました。「したじ」とは江戸時代から常陸(ひたち)で作られた特別な醤油のことで、ほかの醤油とは違うとのことでした。
焼き魚がおかずのときは、魚とご飯を一緒に口に入れて食べるのはだめだと言われました。お米が舌の感覚をにぶらせて骨を敏感に探せなくなるから、喉に詰まりやすくなるからと。じゃあご飯はいつ食べるの?と聞くと、「最後にお茶をかけて食べるんだよ」でした。おかげでわれわれ兄弟はどこへ行っても、「お魚の食べ方がきれいですね」と褒められるようになりました。
筋入りの洒落者
洒落者の祖父は帽子が大好きで、ソフト、パナマ、ハンチングなどを必ずかぶっていました。
特に夏場は、いくつかあるなかでもオプティモという真ん中に線が1本入っているパナマを愛用していていました。麻のスーツに合わせるのはもちろんですが、オープンシャツ、白っぽい着物に黒い絽の羽織、浴衣に下駄、と何にでも合わせて粋に着こなしていました。
オプティモはラテン語で最上という意味ですが、真上の線のことなのでしょうか、文字通り最上のパナマということなのでしょうか。じいちゃんは「すじいり(筋入り)」といっていました。
「つばを下げて、この筋にそって二つにたたんでこうやってくるっと丸めるとポケットに入れておけるんだよ」といって教えてくれたパナマのたたみかたにびっくりしたのを覚えています。
いまは自分もいくつかパナマを持っていますが、じいちゃんと同じ筋入りは高価すぎて持っていません。この帽子もサイズが合わないので引き継ぐことができずに、毎年夏になると箱から出して空気を当てています。
祖父は丈夫な人で病気で寝込んだことはありません。毎週近所の酒屋から届く日本酒一升と、煙草しんせい1カートンを楽しみに、95歳の人生を全うしました。
自分にはこんな粋な生き方には程遠いなあと思うこの頃です。
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