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ステンカラーの想い出。

ステンカラーの想い出。

運命の出会い

 ステンカラーコートをはじめて見たのは、中学生のとき銀座の数寄屋橋阪急デパートのVANショップでした。

 自分は広尾の生まれで、いつもの買い物は渋谷の東横百貨店でしたが、月に一度母親と銀ブラをするのが楽しみでした。銀座の街並みをブラブラとウインドショッピングして、ミユキ通りの裏にある洋食店スイスで食事をしました。

 その日数寄屋橋阪急の前を通ると、お洒落な若者たちが店からあふれ出て並んでいたのです。何事かと思って母子して中に入ると、その行列は階段を伝って上に向かっていました。何と1階から階段を昇って4階の紳士服売り場のVANと大きく書いてある売り場に続いていたのです。

 何でもVANという服売り場のオープンの日とのことでした。その服は今まで見たこともない明るい色合いで、襟にボタンのつたシャツや、裾までストンと落ちた綿のズボン、そしてステンカラーのコートなどいかにも品のいい服が並んでいたのです。

 当時の男の子(自分)のお洒落服は、オープンシャツにGパンに底が厚めのバッシュー(バスケットシューズ)でした。Gパンはジーンズではなくマンボズボンと言われていて、母親に「マンボズボンはだめよ」とよく嫌がられていました

 そんな時代だったのでVANの服はまず母親に気に入られてしまったのです。はじめて見た全く違うファッションに途惑っている息子をよそに、母親はさっさと選びはじめ、白のオックスフォードと赤のギンガムチェックのボタンダウンシャツ、ライトグレイのウールパンツとオフホワイトのコットンパンツ、そして黒のステンカラーのコートを買ってしまったのです。

 こうして中学3年にして母が選んだIVYファッションを身に着けることになり、それから50数年IVYから離れられないのです。

ステンカラーの傑作

 ステンカラーコートは高校の3年間ずっと愛用しました。実に使い道の広い便利なコートで、通学のカジュアルなファッション(高校には制服がなかったので)にも、ブレザーにタイのファッションにも、ジーンズにスニーカーの遊び着にも、寒い日にも、雨の日にもとスクールライフを満喫させてくれました。

 大学になって新しいオフホワイトのステンカラーコートになりました。ブラックウォッチのウールのライナーがファスナーで取り外せるやつです。冬はライナーをつけて春秋は外して一年中着用しました。

 仕事をするようになると下に着るスーツやジャケットに合わせて複数のステンカラーコートが必要になりました。

 色はオフホワイト、ベージュ、オリーブ、紺、黒、チェック。素材もコットンだけでなくウール、フラノ、カシミヤ、キャメル。ブランドもVANだけでなくバーバリー、アクアスキュータム、Jプレス、ブルックスブラザース、ペンドルトンなど必要に応じて増えていきました。

 なかでも特に気に入ったステンカラーコートは、表はセットインスリーブで裏から見るとラグランというスプリットラグランです。ビジネスシーンでは対面した時にラグランよりセットインの方がシャープな印象があるので、それに着易さをプラスしたスプリットラグランはステンカラーの傑作だと思うのです。

 そういえばあの日、母が買ってくれた黒のステンカラーコートもスプリットラグランでした。

 
著:小熊俊行(おぐま・としゆき)
大手広告代理店を経て、(株)マーベリック出版を設立。米国DC COM社と提携し「月刊スーパーマン」創刊。
1980年(株)バス・コーポレーションを設立、現在に至る。
東京ディズニーランド開業、横浜博覧会、関西国際空港開港等のプロジェクトに参画し、好意づくりのコミュニケーションを目指す。
また地域のまちづくりや活性化事業のアドバイザー等、生活者のニーズを満たすまちづくりや担い手づくりなどの支援活動に携わる。
トラッドなアイビーファッションの愛好者であり、2014年より(株)信濃屋の顧問を務める。
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